ある日9
ある日。
朝から雨が降った。昼もまだ降っていた。夕方になっても、雨は上がる気配になく、夜になってもずっと降り続けていた。
次の朝、まるで冬のようにしみじみと寒かったので、いつもよりも早く目を覚ました。そしてベランダに出て、東の空を見た。明けの明星が見える。久しぶりに、見た。太陽が出て来るところがなんとも言い難い深い深い藍色をしていて、インクの染みのように、空に広がっていく。冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んた。午前七時の空は、真っ青に晴れ渡り、一年にそう何度もないような快晴であった。こんな日には、きっと良いことがあるはずだ。
ある日8
ある日。
川岸でボート大会を見た。
水が流れているところから100メートルほど離れたところに堤防が築かれており、その広場のところに屋根付きの観覧席が設営されている。この観覧席前がボート競争のゴールである。庶民はその周辺に隙間なく座ったり立ったりして、はるか遠くに見える川面を凝視している。食べたり飲んだりするための屋台や棒手振りもたくさん出ている。
朝から楽しみに出かけてみたが、3レースほどみたらもうすっかり退屈してしまった。その理由は、あまりにもボートが遠すぎて、興奮は伝わって来ないし、共感もできないからだった。一所懸命にオールを動かす人の顔もよくわからず、不自然な体勢でじっととおくの川面を見ている時間のほうが長いため、余計に早々に疲れてしまったのだろう。あっさりと帰宅することを決めて、ぶらぶら歩きつつ、祭りの喧騒に包まれている公園通りを逆行した。そもそも、どこのチームが今、対戦中なのか、それすらもよくわからない不思議なゲームであった。見に来ているのは暇なひとだけだよという説明は正しかったようだった。
ある日7
ある日。
明け方に、遠くの寺院から低く、銅鑼を叩く音が聞こえてきた。夜半に降りはじめた雨の音の一つ一つを確かめるように聞いていたときのことだった。いつもならもう聞こえてくる鳥の声はない。起きているのかまだ寝ているのかわからない曖昧な感覚の中で、ゆっくりと時を刻むような間隔で聞こえる銅鑼の響きを数えているうちに、また眠ってしまった。
ある日6
ある日。
古い民家を利用した自家焙煎のコーヒー店へ夕涼みに行った。天井が高く、煤けた天井の梁、茶色い木の窓枠、裏庭に無造作に並べられたコーヒーテーブルと椅子。音楽のない空間。店の人もほとんど無言。客のほとんどは一人で来る。みな静かにコーヒーを飲んで、静かに時を過ごす。サンドイッチなどの軽食の類は皆無。最近、オレンジピールチョコといかにもホームメイドなスコーンがメニューに加わった。コーヒーは決して安くはない。ディープローストのコーヒーもオリジナルローストも、どちらかと言えば、高い。それではここのコーヒー以外はもう飲めないと思うほどの完璧さである。毎朝淹れるコーヒーの味は、店で飲むものと比べ物にならないくらいに不完全であるが、不完全なりにクオリティの高い香りと味がする。備え付けの書架から適当に抜き出した本を読みながら、空が暗くなるまで窓辺の席で喫茶を楽しんだ。
断然、飛行機である。一気に、遠くへ行ける。どこでもドアの代用品として、最短距離にある。飛行機に乗る前の期待感、機内に腰を据えたときの高揚感、目的地に着いたときに感じる冒険の始まりの緊張感。電車や船とはレベルの違う非日常感。車窓や海岸沿いに見え隠れする日常生活とは一線を画した非現実的な雲上の光景が、幻想的な気分を呼び起こしたり、ランゴリアーズ的な妄想を掻き立てたりする。飛行機にずっと乗っていたい。目的地に着くことよりも、出発するときの不安と期待の混じった落ち着かなさが好きだ。
ある日3
ある日。
朝、書類を持って来る予定だった学生が来ない。連絡をすると、12時に授業が終わるから昼食を食べてから来るという。約束は午前9時だった。そのことに対する説明も言い訳も一切ない。挙句、昼に来てみれば、提出するはずの書類はまだ書いていない。しかしその書類を今日の午後、大使館へ提出に行くから授業は休むという。書類のチェックはまだ終わっていないというのに、何を考えているのかわからない。そうですか、だったらどうぞと冷たく突き放したつもりではあるが、学生は、はい、ありがとうございますと元気よく言って、どこかへかさっさと消えてしまった。